小笠原ビジターセンターにて夏季特別展を開催中
夏期特別展「地名展~おがさわら 地名も歴史もおもしろい~」では、島民でも意外と知らない小笠原の地名に関する由来等について紹介しています。
無人島の発見と小笠原貞頼「小笠原嶋」発見伝説
1670年 紀州(和歌山)から江戸へ向け出港した阿波(徳島)のみかん船が遭難し、母島と思われる無人島に漂着。その後生還した乗組員たちは、遭難の顛末と初めて見た無人島について幕府に報告しました。
1675年 八丈島のはるか南方にある無人島の存在を知った幕府は、巡検隊を派遣。嶋谷市左衛門による現在の小笠原群島の調査・地図(海図)作成が行われ、採取した物産とともに幕府に提出されました。
「無人嶋図」と書かれた地図の当時の読み方と意味は「無人」むにん(人がいないという意)または、ぶにん(人手が少ないという意)でした。
巡検隊は、現在の父島宮之浜に祠を建立し、祠の脇に「比島大日本之内也(このしまだいにっぽんのうちなり)」と記したということです。しかしその後、人は移住せず無関心のまま放っておかれましたが、嶋谷によって作成された地図は、後に小笠原が日本領土となる原点となりました。
小笠原は、小笠原貞頼が発見したと伝承されています。1727年小笠原貞頼の子孫と称する貞任(さだとう)が、‘1593年小笠原貞頼「小笠原島」発見’という記述のある『巽無人島記』をもとに、幕府に無人島渡航許可を求めました。しかし、1735年この文書は偽書であって貞任本人が小笠原氏とは無関係と判定され、詐欺罪になり江戸から追放されました。
世界各国に伝わった無人島情報
1727年 ケンペル(ドイツ人医師)『日本誌(英語版)』刊行
漂着と巡検によって確認された南方の無人島(小笠原)の情報は、この刊本で「Bune-Sima」としてヨーロッパに紹介されました。
1752年 森謹斎(もりきんさい)『小笠原嶋地図一名無人島』刊行
この刊本に載せられた地図は、詐欺師とされた宮内貞任の偽文書『巽無人島記』を元に創ったもので、嶋谷の地図とは全く違う架空のものでありましたが、同地図の存在は、その後、‘小笠原発見伝説’が定着していくのに大きく関わりました。
1785年 林子平『三国通覧図説』刊行
小笠原の情報が日本で最初に詳しくまとめられた刊本で、嶋谷が調査した「現実の無人島」の地図や記載が、宮内貞任の創作(1593)による貞頼が発見したという‘架空の小笠原島’と合体し、小笠原貞頼「小笠原嶋」発見伝説が定着しました。
相次ぐ海外での出版
林子平『三国通覧図説』刊行後、海外で翻訳出版が相次ぎ 無人島→ボニン島、オガサワラの存在が知られることとなり、その後、以下の刊行物で紹介されました。
1817年 フランスアカデミー機関紙が紹介した、レミューザ(フランス)『三国通覧図説』のフランス語訳地図上に「BO-NIN」と表記
1820年 アロウスミス(イギリス)が レミューザの「BO-NIN」を採用し、太平洋海図上に「Bonin Islands」と表記
1825年 クラプロート(ドイツ) ペリー提督の読んだ『三国通覧図説』のフランス語訳 で「Mou-nin」と表記
1853年 シーボルト(ドイツ) オランダで刊行された、日本研究をまとめた集大成『日本』で「Bonin」と表記
1856年 マシュー・ペリー(アメリカ)による 『ペリー提督日本遠征記』の小笠原諸島の地図上に「CHART OF THE BONIN GROUP OF ISLANDS.」と表記
三国通覧図説は鎖国時代の日本からヨーロッパに流出し、フランス語に翻訳されました。当時、日本に来たことのない外国人が日本人から発音、読み方を直接聞くことは難しかったと思われます。そのような中、「無人島」をなんと発音するのか、アルファベットでどう記すのかをそれぞれ研究し表記し、英国では海図にレミューザの「BO-NIN」を採用し、「Bonin Islands」と表記しました。
「無人島」の読みと表現については様々な説がありましたが、最近になり、地図・海図によって「BONIN ISLANDS」が広く知られるようになった、という説が出ています。「BONIN」の表記は最初の定住者が来る1830年以前から存在しており、「BONIN」は日本語から外国語になった数少ない言葉のひとつです。
日本の領土とするために咸臨丸による巡検隊を派遣
第一次世界大戦後、日本の統治下にあった南洋群島と本土との中継地点にあたる小笠原の人口は増加し、漁業、農業共に最盛期を迎えました。
幕府は『ペリー提督日本遠征記』により、「無人島」に既に日本人以外の定住者がいることや、ペリーが捕鯨基地等として将来性を高く評価していることを知り、今まで無視していた「無人島」に急に関心を高めました。
小笠原を最初に調査して地図を作ったのは日本ですが、先に移住したのは現在、小笠原で欧米系島民と言われている人々の先祖たちです。そこで、日本の領有権を主張し島を取戻すために1862年 咸臨丸による巡検隊を派遣し、すでに入植・定住していた欧米系住民と話し合い、日本統治の同意を得ました。
政治的判断で島名命名
島名命名の際、「無人島(人なき島)」では日本の領有権を主張するのに根拠が弱いため、また、日本の発見がより古いと主張するため ‘1727年 小笠原貞頼「小笠原嶋」発見伝説’を利用しました。
小笠原・父島・母島・兄島など貞任が創作したと思われる島名と、それに沿った家族名を命名しました。
この政治的判断のため、偽書(架空物語)の地名が正式名称となったのです。
独特な小笠原の地名
小笠原の地名は、先に移住した欧米系島民が使っていた地名が残っていたり、一つの場所に二つの名前があったりと地名から複雑な歴史背景も見えてきます。
「地名展」では、それぞれの地名説明と現在の写真、小花作助が ※『小笠原嶋 真景図』を模写した『小笠原嶋図絵 附録一巻』の画を配置し、父島列島・聟島列島・母島列島の地名を紹介しています。
(※『小笠原嶋 真景図』咸臨丸巡検隊による調査の際、絵師兼医師として参加した宮本元道が描いた図)
パネル以外の展示物紹介
難しい内容のパネルに囲まれた「地名展」でひと息入れることができるポイントとして、父島南西端の金石浜産 黄鉄鉱、小笠原諸島各ビーチの砂、古書「THE HISTORY OF THE ISLANDS」を机上に設置しました。地名と歴史に関する書籍、論文も手に取ってご覧ください。地球儀で海の広さや外国・昔に思いを馳せることもよいのではないでしょうか?
「地名展」は10月8日まで開催しています。
小笠原ビジターセンターにぜひお立ち寄りください。
小笠原ビジターセンター
開館日
おがさわら丸・観光船入港中
午前8時30分~午後5時00分まで
*夜間開館日あり
*開館日については下記サイトからご確認ください。
https://www.tokyo-park.or.jp/nature/ogasawara/
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