文化・歴史

小笠原ビジターセンター特別展「寫眞で見る小笠原展」

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小笠原に人が定住を始めてから188年。最初の定住者は欧米系の人とハワイの人たちでした。
明治になり日本人が開拓のために移住、戦前の小笠原は7000人を超す人々が暮らす時代がありました。

戦争が終わり昭和21年(1946年)に欧米系島民だけは帰島を許されましたが、日本人は昭和43年(1968年)まで島に帰ることができませんでした。

小笠原は今年で返還50周年を迎えます。それを記念して、ビジターセンターでは特別展「寫眞で見る小笠原展」を展示します。

この特別展で紹介する写真は、戦前や米軍統治時代の様子、やっと迎えた返還式典、返還後~昭和時代の風景と生活を写したものです。

その中から一部をご紹介します。

写真で見る小笠原展

明治の小笠原は、日本本土でできないようなパイナップル、サトウキビ、バナナなどの亜熱帯の作物の生産が盛んになると共に人口も増加し、大正10年には5,000人を超す人々が暮らしていました。(現在の人口は約2,600人)

戦前には7,000人を超す人々が生活をし、まだビニールハウスが普及していない冬の時期にはトマト、キュウリ、カボチャなどが生産され、人気を博していました。

写真を見ると、今では考えられないような山奥にまで住宅や畑があります。

父島 大神山周辺

父島 大神山周辺

母島 北港集落

母島 北港集落

昭和19年(1944年)、小笠原全域に空襲があり、6,800人ほどの人々が強制疎開命令により本土へ疎開しました。

昭和21年(1946年)、戦争が終わり、欧米系島民129人のみ父島へ帰島を許され、米軍統治下になりました。

米軍統治下での生活は、最初は米軍のカマボコ型兵舎で共同生活をしていました。

食料は旧日本軍が残していった米や缶詰を母島に取りに行ったり、漁をしたり野菜を育てたりしてまかなっていました。

生活物資は月に1回グアムからの補給船により運ばれ、漁業や農業で得たものを出荷してその収入で食料や日用品を買っていました。

また、米軍の基地で働き生計を立てている人もいました。

社交クラブ「GINKOKAI」

米軍と村民の交歓会

米軍と村民の交歓会

昭和42年(1967年)11月に佐藤栄作首相とリンドン・ジョンソン大統領の会談で小笠原の日本返還が合意され、昭和43年(1968年)4月に小笠原返還協定が調印され、6月26日に米軍司令部の前の広場で返還式典が行われました。

返還式典の様子

返還式典の様子

米軍引き上げの様子

返還直後の復興の様子、人々の生活や島の景色なども多く展示しています。

なかでも今回の目玉の一つに、昔から住んでいる方々からいただいた写真と思い出のコメントを展示しています。

当時のことを、よりリアルに感じることができるコーナーになっています。

生協

レアな写真も展示しています

レアな写真も展示しています

また他にも、新旧の写真を並べた展示もしています。

今と昔を比べたビデオ上映もありますので、そちらもご覧になって下さい。

二見湾の今昔

貴重な写真の1コマから、時代の流れを感じていただければ幸いです。

タイムトラベルをしに、ビジターセンターにぜひお越しください。

小笠原ビジターセンター

開館日
おがさわら丸・観光船入港中
午前8時30分~午後5時00分まで
*GW・夏期などは、毎日開館いたします。
*夜間開館日あり
*開館日については適宜お知らせいたします。

問い合わせ
04998-2-3001
https://www.tokyo-park.or.jp/nature/ogasawara/

VCオカヤドカリマーク

小笠原の情報発信基地

小笠原ビジターセンター・大神山公園

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https://www.tokyo-park.or.jp/nature/ogasawara/