文化・歴史

幕末に小笠原へ来島した著名人の子孫が集いました!

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小笠原の魅力をご紹介する新たな小笠原アンバサダーライターをご紹介します。

「父島のガイド&フォトグラファー」マスオ

マスオさんは、父島にてガイド業やフォトグラファー、さらにフラダンサーとして活躍する小笠原アンバサダーです!
今回は、小笠原の歴史に触れた体験についてお話していただきます。

SNSではフォトグラファー活動の作品や、島暮らしを配信中♪
Instagram(@masuo_ogasawara)
YouTube(@マスオ冨田)


2022年11月5日、『日米草の根交流フォーラムin父島』のご一行が父島に来島しました。

日米草の根?何かの繋がり?と疑問に思う方はいるかと思いますが、実は小笠原と米国とは歴史的に深いつながりがあるんです。

では、どういう方々が来島したかをここでご紹介したいと思います。

まずは、幕末に来航した咸臨丸の通訳や捕鯨船の乗組員として、小笠原に数回来島しているジョン(中濱)万次郎の直系5代目子孫 中濱 京さん、中村 文さんご姉妹。(写真 右端が中濱 京さん、右から3番目が中村 文さん)

また、ジョン万次郎を伊豆諸島鳥島で助けた捕鯨船のホイットフィールド船長の6代目子孫 スコット ホイットフィールドさん。(写真 右から2 番目)

そして、あの黒船を率いたペリー提督の5代目子孫 マシュー ペリーさん(写真左端)が来島しました。

また、それ以外にも、NPO法人中浜万次郎国際協会の理事と会員の方々、土佐ジョン万会会長、公益財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター(CIE)の関係者、アメリカと日本から日米草の根サミット協力及び参加者の方々、高知と沖縄でのジョン万弁論大会特別賞受賞の中高校生たち、朝日新聞の記者など、総勢22名の老若男女が父島に来島しました。

一方、父島では、1830年に父島へ最初に入植したナサニエル セーボレーの5代目子孫、セーボレー孝さんが皆さんをお迎えしました。

私は、ご一行が来島される以前に小笠原ビジターセンターで特別展「ジョン万次郎〜その時代と人々〜」の企画展示を行い、この交流会を心待ちにしておりました。(昨年12月13日小笠原マガジンの記事『小笠原ビジターセンターにて 特別展「ジョン万次郎〜その時代と人々〜」開催』にて展示内容のご紹介をいたしました。)

万次郎と捕鯨船船長とペリー提督の関わり

「ジョン万次郎」という名前は聞いたことがある方が多いと思います。
幕末の大河ドラマには必ずと言っていいぐらい出てきます。
では、このジョン(中濱)万次郎はどういう人物か?

四国の足摺岬近く、中ノ濱で生まれた万次郎は14歳で初めて出た漁で漂流し、伊豆諸島の鳥島に漂着した後にアメリカの捕鯨船に助けられます。

その捕鯨船の船長がウィリアム ホイットフィールドでした。

万次郎を乗せた捕鯨船は小笠原へ立ち寄るのですが、これが彼にとって小笠原との出会いとなります。

その後、万次郎は捕鯨船の乗組員としてアメリカで生活します。27歳になった万次郎は日本に戻り、幕府に登用され通訳となり、咸臨丸で小笠原へ来島します。

父島では、ナサニエル セーボレーらと会談し、この島が日本である事を納得してもらいました。また、ペリー提督が黒船で浦賀に来た時は、通訳としては外されましたが、裏でペリー提督の考えを幕府に伝えたとも言われています。

その時の繋がりが現在でも日米の草の根交流として続いているのです。

ペリー提督の懐中時計

さて、11月7日11:00おがさわら丸が到着した父島二見桟橋は、ナサニエル セーボレーの子孫の方々や、小笠原村の方々により歓迎ムードに包まれていました。

セーボレー孝さんが小さな星条旗を降りながら皆様をお出迎えし、ペリーさん、スコットさん、中浜京さんらと島民の間で固い握手が交わされました。

1853年ペリー提督が小笠原に来てから170年ぶりの子孫の方々による交流の始まりです。

お昼は、お寿司屋さんで島料理を堪能していただき、午後からは、まず小笠原ビジターセンターでの「ジョン万次郎展」を見学。

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スコットさんがウィリアム ホイットフィールド船長の肖像画の前で立ち、皆で写真を撮ったり、マシューペリーさん所有の、ペリー提督が来日した時に身につけていた懐中時計を見せていただきました。

この懐中時計は既に内部が錆びて止まっていたのですが、時空を超えた再会に、思いを馳せました。

小笠原ビジターセンターでは、特別展としてジョン万次郎展を過去2回行い、今回は子孫の方々がご来島という事もあり数年ぶりの特別展示でしたが、ご一行には大変気に入っていただけたようでした。

子孫の方々と、大村散策

その後、大村海岸からラドフォードスクール跡を通り、ペリー提督来島記念碑へ。

ここでは、マシューペリーさんにペリー提督来航記念碑前でのツーショットに応じていただきました。

記念碑から大神山へ皆さんハアハア息を切らしながら階段を登り、神社と展望台へ。

最後に小笠原村役場議事堂にて歓迎セレモニーや、ペリーさんからセーボレー孝さんへ星条旗の授与式が行われました。

1853年、ペリー提督が父島に来航した時、ナサニエル セーボレー氏を行政長官に任命し、星条旗を授けました。

その後、日本国籍を取得したセーボレー家で代々受け継がれてきた星条旗でしたが、太平洋戦争で米国が敵国となり、迫害を恐れ星条旗を燃やしたそうです。

そこで今回、マシューペリーさんが、50の星全てがついていて、ワシントンDCに掲揚されているものと同じ星条旗をセーボレー家へ贈りました。

この旗は、歴史が繋ぐ友情の印です。

最初の開拓者 ナサニエル セーボレーとの関わり

8日朝は、まず聖ジョージ教会にて教会や小笠原の歴史を、セーボレー孝さんより解説していただきました。

その後、大根山旧島民墓地へ行き、ナサニエル セーボレーの墓標前で行った記念撮影の際には、ご一行は孝さんのお話を興味深く聞いていました。

次にウェザーステーション展望台に移動し、大海原を見ながら黒船帆船「プリマス号」乗組員の追悼式を行いました。

ペリー提督率いる帆船「プリマス号」って?

ペリー提督は、浦賀に行く前に1853年6月に蒸気帆船「サスケハナ号」と「サラトガ号」で小笠原に来ましたが、同年10月25日には、ペリー提督率いる帆船「プリマス号」が父島に寄港しました。

その時、14名の乗組員がカッターと呼ばれる手漕ぎボートで午前に二見湾から漕ぎ出しましたが、午後になって激しい嵐に見舞われ、彼らは皆遭難してしまいました。

この度、ペリー提督の5代目のペリーさんが小笠原に訪れたのを機に、遭難した乗組員へ黙祷を捧げました。その後、ペリーさんとセーボレーさんは堅い握手を交わしました。

小笠原ビジターセンターでの講演会そして、出港!

小笠原海洋センターにてアオウミガメと触れ合い、釣浜展望台では、当時のペリー提督がセーボレーから購入(当時50ドル)した土地を遠望し、当時建物が無かった時代を想像しながら孝さんのお話に聞き入りました。

午後は都立小笠原高校で中濱京さんによる講演会や、ジョン万弁論大会特別賞受賞の中高校生たちによる英語での弁論も行われ、島っ子たちとの交流も行われました。

11月9日夜には、小笠原ビジターセンターにて講演会「子孫が語る日米のかけ橋」が行われ、定員40名程度でしたが予想を上回る来場で、定員を超える視聴希望者には入場をお断りする事態になりました。

公演の後の質疑応答では、英語も交えながらの質問などもあり、皆さん興味深く耳を傾けていました。

スコットさんの「ハッピーアクシデントをつかまえるんだ!優しく勇気をもって新しい出会いを大切にしよう!質問することを恐れずに学ぶんだ!そして、それをどんどん検証していこう!」というお話には、皆さん感銘をうけていたようです。

11月10日 出港前には日米草の根交流フォーラムin父島ご一行にレイがかけられました。

小笠原では、お世話になった方や大切な人が島を離れる時、ティーという葉と島の花で編んだレイを首に掛けて感謝の気持ちを伝えると共に、航海安全や無事を祈ります。

そしてレイを掛けられた人は、「海に投げられたレイが岸にたどり着けば、また島に戻って来られる」という小笠原の言い伝えを信じ、おがさわら丸が岸壁から離れる時に海へ投げています。

おがさわら丸が岸壁を少しずつ離れて行きました!
今回、来島した皆様にとっても思い出に残る交流フォーラムになったようです。

掛けられたレイを海に投げ、行ってきま〜す!また見るよ〜!(小笠原の方言で、Sea you ageinの直訳)と言いながら、見送る人や船に手を振っていました。

あとがき

「日米草の根交流フォーラムin 父島」は、公益財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター(CIE)が主催し、小笠原村の協力のもと行われました。

今回の企画を通じ、小笠原の歴史に関わる子孫の方々が来島して、様々な交流がありました。この様な出会いはこれからも、未来永劫に続いていく事でしょう。

自分は、小笠原の自然だけではなく、この島ならではの歴史にハマった一人です。皆さんも小笠原に来た時は、歴史にゆかりのあるところへも行き、想いを馳せてみてはいかがでしょうか?

最後に、本記事に興味を持たれた方に朗報です!

今年(2023年)9月には「日米草の根交流サミット2023オハイオ大会」が開催される予定です。同大会では、万次郎とホイットフィールド船長、そしてペリー提督の子孫らとともに日米市民との草の根交流を体験できます。
ご興味のある方は、こちらまで! http://www.manjiro.or.jp/jpn/ohio/

マスオ

父島のガイド&フォトグラファー

マスオ

鹿児島県出身。
父島でイルカと初めて泳ぎ、イルカと自然に魅了され1998年に移住。

移住後はイルカの撮影にはまりフォトグラファーを目指し、2006年にはマスオフォトとして独立。現在は様々な撮影や、雑誌への投稿なども行なっている。毎年、制作販売している小笠原カレンダーは島内外で好評を得ている。

また、小笠原の歴史にも目覚め、2012年に語りべマスオとして歴史文化のガイドから始め、現在は森山、戦跡、ビーチシュノーケルツアーも行なっている。

島に移住してフラにもはまり、現在もカネ(男)ダンサーとして細々と活動中。

最近の写真受賞歴
2015年 よみうり写真大賞ニュースドキュメンタリー部門 1席
2017年 読売新聞 読者のニュース写真 1席

Instagram:@masuo_ogasawara
YouTube:@user-wc9vy2gd7x

https://masuo-san.jimdofree.com/

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