太平洋戦争の激戦地「硫黄島」の現在
硫黄三島の最南端、南硫黄島を離れたおがさわら丸。
午前9時ごろ、硫黄島が見えてきました。
父島から約280kmに位置する硫黄島。
面積は23.16㎢、周囲22km、東京都品川区と同じくらいの広さです。
最高峰は擂鉢山の170mで、南硫黄島の険しさとは対照的な、なだらかな形状の島。
あちこちから噴気が立ち上っており、風に乗って硫黄の匂いが船にまで漂ってきます。
硫黄島は火山活動がさかんで、今も年に数十cm隆起しています。
2017年は1年で1.2m隆起、滑走路にヒビが入るなどの影響が出ました。
海岸線には朽ちた船の残骸が見られ、戦争の傷跡がそのまま残されています。
硫黄島には、海上自衛隊、航空自衛隊が駐在しています。
船上から、基地の施設やバスが確認できました。
硫黄島への移住開拓が始まったのは、明治22年ごろ。
硫黄採掘のため入植、明治24年に日本に帰属しました。
火薬や染料、マッチなど、様々な製品の原料として重宝された硫黄。
純度が高い硫黄島の硫黄は、良質なものとして流通しました。
またサトウキビ、薬用植物(コカ)、レモングラスなどの農業や漁業も盛んで、移民も増加。
昭和19年の強制疎開前の人口は1000人を超え、6つの集落があり小学校もあったといいます。
目の前に広がる荒涼とした島からは、当時の島の面影は微塵も感じられません。
硫黄島には昭和20年2月19日にアメリカ軍が上陸、40日にわたり激戦地となりました。
玉砕の島での戦死者は日米両軍で約2万7000人にのぼり、今なお戦没者遺骨収集は続いています。
小笠原返還50年を迎えますが、硫黄島から強制疎開した旧島民の帰島はいまだ叶っていません。
島を一周した後、献花用の菊が配られ、黙祷を捧げます。
波間に漂う菊を残し、船は長い汽笛を鳴らして島を離れました。
一般の人は硫黄島に上陸できませんが、
戦没者遺族墓参事業への参加者は上陸することができます。
東京都による航路での墓参は日帰りのみですが、
ゆとりある墓参の実現のため、平成9年から小笠原村主催で、おがさわら丸による
宿泊を伴う墓参が行われるようになりました(現在は休止中)。
父島在住で、おがさわら丸による上陸経験のある、
陸域専門ガイド「マルベリー」の吉井信秋さんにお話を伺いました。
硫黄島には港がなく、おがさわら丸は接岸できない。
参加者は小さな船に乗り換えて硫黄島に上陸する。
(画像:吉井さん提供)
南海岸から擂鉢山を望む。
昭和20年2月19日に、この浜から9000人もの米軍海兵隊が上陸。悲惨な戦場となった。
(画像:吉井さん提供)
吉井さんが小笠原村主催の墓参事業に参加したのは、平成19年6月14日〜17日。
硫黄島旧島民、遺族のほか、小笠原村在住の島民枠での参加者が50人。
小笠原中学校の中学2年生も授業の一環で参加しました。
14日の夜におがさわら丸は父島を出港して、翌朝に硫黄島に到着。
「おがさわら丸は沖合のブイに停泊させ、小さな船に乗り換えて硫黄島に上陸しました」
硫黄島の気温は地熱の影響もあり、父島よりも高かったそうです。
米軍上陸記念壁画
AP通信写真部カメラマン、ジョー・ローゼンタールが撮影し、ピュリッツァー賞を受賞した写真を壁画にしたもの。島の北部にある。
(画像:吉井さん提供)
医務科壕
負傷兵の病院だった壕で、遺留品も多い。
内部は地熱でとても暑い。
(画像:吉井さん提供)
島内は海上自衛隊の車で巡ります。
米軍上陸記念壁画、平和記念墓地公園、平和記念会館、南海岸、擂鉢山、
そして壕やトーチカなどの戦跡も訪れたそうです。
硫黄島旧島民、遺族は島内の一時滞在施設「平和祈念会館」に宿泊します。
一般の小笠原村民は、通船でおがさわら丸に戻り、船内に泊まります。
なだらかな地形で、耕作地として開墾された硫黄島。
今は農業が盛んだった島の面影はなく、樹林に還っています。
植物相は豊かではなく、外来種のギンネムが目立つそうです。
(画像:吉井さん提供)
太平洋戦争の激戦地となった「硫黄島」の現在、いかがでしたでしょうか。
次回は「北硫黄島」をお届けします。
今年の硫黄三島クルーズは2018年7月4日(水)〜9日(月)に実施されます。
元島民ライター
のなかあき子
2015年〜2017年春まで父島居住。
2児の母。島生活で太鼓とパッションフルーツに目覚める。
父島のおすすめスポットは「製氷海岸」「コペペ海岸」「三日月山展望台への脇道」。
著書に『東京のDEEPスポットに行ってみた』(彩図社)など。
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