文化・歴史

ルーツは八丈島に!母島の『小笠原太鼓』がつなぐ島の過去と未来

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小笠原の大空に響き渡る太鼓の音

季節のお祭り、船の出港時など、小笠原での行事や日常に欠かせないのが「太鼓」の音です。

時に優しく、時に勇ましく、広い空の下に響く音はまるで島の鼓動のよう。

小笠原太鼓同好会1

母島の大自然に太鼓の音が響き渡る

小笠原では現在3つの太鼓の団体が活動しています。

父島にはお祭りなどで活躍する「ぼにん囃子」、子供たちに太鼓を伝える「太鼓会」、母島には「小笠原太鼓同好会」があります。

明確な規定はありませんが、横向きに高い位置に置いた太鼓を、2人1組で両面から叩くという基本スタイルは共通しています。

両面打ちが『小笠原太鼓』の基本スタイル

移民と共に八丈島から小笠原へ

小笠原にはなぜこのような叩き方が根付いたのでしょうか。ルーツから現在の活動について、母島の『小笠原太鼓同好会』代表の綱島修さんに話を伺いました。

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中央が『小笠原太鼓同好会』代表の綱島修さん

綱島さん「江戸時代末期、八丈島から小笠原への移住が始まりました。移民が故郷を思い出しながら叩いていたのが始まりだと言われています」

明治中期から昭和にかけて、八丈島から小笠原に多くの移民が入植しました。

太平洋戦争時の強制疎開や米軍統治により太鼓の音は途切れましたが、1968年の小笠原諸島の日本返還を機に、島民の帰還と共に太鼓の音も戻ってきました。

返還後、島に響いたドラム缶太鼓の音

日本は高度成長期終盤でしたが、小笠原はまだテレビも見られず、道路も整備されていない時代。娯楽のない父島で「楽しもうじゃ!」と人々が集まり、ドラム缶を太鼓に見立てて叩くようになりました。

その中心にいたのが、『小笠原太鼓同好会』創始者の佐々木政治さんです。

佐々木さんは母島出身ですが、返還直後の母島はまだ住める状況になく、父島で生活していました。

綱島さん「ドラム缶を半分に切り、蓋を溶接して作った太鼓を、お酒を飲みながら叩いていたそうですよ。本物の太鼓を揃えてくれたのは支庁の有志だと聞いています。小笠原の開拓のために汗を流して働く人々のために購入してくれたそうです」

母島で『小笠原太鼓同好会』結成

数年後に母島への定住が始まり、帰島した佐々木さんを中心に、太鼓好きの人が集って楽しむようになりました。

1980年代に入り、当時母島で音楽の先生をしていた方が加わり、現在の『小笠原太鼓同好会』が結成されたそうです。

綱島さんが小笠原太鼓に出会ったのは、1990年頃、内地から母島に移住して間もない頃だそうです。

綱島さん「月ケ岡神社のお祭りで佐々木政治師匠の太鼓に魅了されました。あんなにパワフルでリズミカルな太鼓を見たのは初めてで、衝撃を受けました。数日後には『やらせてくれー!』と駆けつけていました(笑)」

その数年後、音楽の先生は内地に引き上げることになり、綱島さんが代表を引き受けました。

ベースの下拍子×即興の上拍子


(動画提供:小笠原太鼓同好会)

小笠原太鼓では、一人がベースとなる下拍子、もう一人が即興で上拍子を叩きます。

下拍子には、右2回・左1回で打つ「ドンドコ」と、左右をドコドコと一定のリズムで叩く「シャバタキ」の2種類があります。

上拍子は、いくつかの基本的なパターンを習得した上で、下拍子に合わせて即興で組み立てて叩きます。

八丈島の太鼓をルーツに、佐々木さんオリジナルのフレーズが加わって、母島オリジナルのスタイルが生まれました。

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膝を揃えて打つのが母島スタイル

叩く時のスタイルも特徴的。勇ましく構えるのではなく、着物をきている女性が打つように腰をあまり落とさず、体を立てて膝を揃えます。

綱島さん「八丈島の伝統的な織物、黄八丈という着物を着て叩くスタイルに佐々木政治師匠が惚れ込んだようです」

八丈島で太鼓をやっている方が、佐々木さんの小笠原太鼓を見て「小さい頃に見た太鼓と同じだ」と驚いたというエピソードもあります。

昔の八丈島で叩かれていたスタイルが、遥か離れた母島で伝承されている事に驚いたそうです。

綱島さん「八丈島のベテランの方が驚くのを見て、自分たちのスタイルに自信を持つことができました」

『小笠原太鼓』が歴史として残るのはこれから

重要なのは、和気あいあいと叩くこと

『小笠原太鼓同好会』の練習は、30年前から変わる事なく週2回(月、木の19時〜20時30分)、母島の沖港船客待合所で行われています。

メンバー数は約20人。地元の人よりも、内地から赴任してきた人など短期在住者の方が多いとか。
元旦の海開き、返還祭、夏の盆踊りや神社の例大祭で披露しています。

「重要なのは、和気あいあいと叩くこと。佐々木政治師匠は『酒がないとダメだよ』と言っていました(笑)」と笑う綱島さん。

佐々木さんの存在は大きく、練習の最後の5分は『師匠タイム』と呼ばれ、佐々木さんの演奏を聞いて練習を締めるのが恒例だったそうです。

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『小笠原太鼓同好会』の練習場所は母島の沖港船客待合所

しかし、佐々木さんもご高齢になり、なかなか練習に参加できなくなりました。

また、新型コロナウイルスの影響でイベントが次々中止になり、最近は太鼓を披露する機会も減ってきてしまいました。

夜空に響く太鼓と花火のセッション

そんな中、今年は6月に実施された花火打ち上げの際に、小笠原太鼓を披露する機会に恵まれたそうです。

会場となった港に、佐々木さんは車椅子で登場されました。

「やっぱり太鼓を前にするとシャンとするんです、花火をバックに叩く姿は素晴らしかったですよ」と綱島さんはその日のことを振り返ります。


(動画提供:小笠原太鼓同好会)

佐々木さんの叩く太鼓と、夜空で弾ける花火のセッションを体感できる映像は必見です。

好きな人が集まる『同好会』として叩く

綱島さん「小笠原太鼓が始まってまだ50年。歴史として残るならこれからですよね。
誰かに頼まれれば披露するけれど、表にでたい、有名になりたいとは思っていません。
あくまで自分たちが楽しむのを大切にしています。我々の会は、研究会や保存会ではなく好きな人が集まって叩く『同好会』、基本は守りながら今後も柔軟に変化していくでしょう」

江戸時代から現在、そして未来を繋ぐ小笠原太鼓。
母島を訪れた際には、島の鼓動のような太鼓の音をぜひ聞きに行ってみてください。

のなかあき子

元島民ライター

のなかあき子

2015年〜2017年春まで父島居住。
2児の母。島生活で太鼓とパッションフルーツに目覚める。
父島のおすすめスポットは「製氷海岸」「コペペ海岸」「三日月山展望台への脇道」。
著書に『東京のDEEPスポットに行ってみた』(彩図社)など。

https://twitter.com/akikononaka